惜別譜
2005年3月22日花粉症でかなりぐたぐたな今日此の頃、皆様方は如何お過ごしでしょうか?
そのうちこんなあいさつ文が普通になんのかい?
広島に戻ってきてプチ異動とか色々あって漸く落ち着いて来たかなって今日。
職場の部課長クラスの送別会。
立場上欠席出来ないのが困ったもんだが、実際世話にもなったもんだしな。
取り巻きが多いけど直接話も出来たし、7000円の会費なりの食い物も食えてまあこんな物かと。
二次会に誘われるような隙を見せずに会場を後に。
昼に降っていた雨は既に止んでいた。
街の端だった会場からふらりふらりと歩いて家に向かう。
大きな通りの信号に引っ掛かった時に晴れた空を見る。
天頂に近いところに半月ながらくっきりとした月が光ってる。
思わず手を伸ばす。
届かない届かない。
分かってる分かってる。
だからこそそこが好きな事位。
だからこの街でもう無い店の跡を歩いてみたくなった。
一軒目、俺の年より昔からあった酒場。
俺の職場の先達が相当通った店。
俺の年より昔からこの街にあったと言う。
俺がこの店に入ったのは3度ほどだが他に客がいた事は無い。
おそらく最近はこの店を訪れる人は非常に少なかったのだろう。
おかあさんと呼んでいた人はそれでもずっとこの街で、この店に灯りをともして来た。
確かにこの店の明かりは点いていた。
昨年の10月まで。
今は閉まったまま開かないシャッターに手をあて、この店でおかあさんと話した事を思い出す。
2軒目、一つ裏の通りの食事処。
姉妹で営業されてたその店は、ネットで拾った情報で行ってみた一軒だった。
料理主体のそのスタイルは酒主体の店に入り浸っていた俺に新鮮な店だった。
なんの変哲も無いコロッケやおばんざいが美味い。
生ビールさえないその店の料理は、居酒屋通いを続けていた俺の心の、違う弦を掻き鳴らしたのだった。
魚の生ちり、がんも煮などの普通の料理が普通に美味い。
そんな一軒。
昨年末、店の前を通った時、看板の名前が変わってた。
外から見える範囲で店内を覗き、品書きが大幅に変わっている事を知る。
もう俺の食べたかったあの料理はそこに無かった。
3軒目メインストリートのはずれに近い一軒の店。
居酒屋とも料理屋ともいえない一軒の店だった。
はじまりはタウン誌の片隅の小さな記事。
小さな写真のその料理を美味そうだと思った俺は、一週間もしないうちにその店の扉をくぐっていた。
6席ほどのカウンターにテーブルが2つ。
本当に小さな店だった。
メニューらしいものは無く、ただ壁に数枚の短冊が貼ってある。
それもコースの案内でしかなく何を頼んで良いのか分からない。
必然、料理はお任せだった。
もう最初に何を食べたかも覚えてはいないが数品目に出てきたのはカツサンド。
飲み屋で?つまみに?カツサンド?
自分のスタイルを覆されたようなそのつまみを一つ食った時に、俺は自分のいた世界の狭さを知った。
酒を飲むためにカツサンドを作るとこうなるのか!!!
決して安い店ではなかったが、かなり足しげく通う事になった。
そこで教えてもらった料理は、今の俺の原点に近い。
一度行く度に新しい発見があり、一度行く度に新たな感動があった。
上り調子に見えたその店は、数年前に突然店をたたむ。
その店の跡は二転三転し今は全く赴きを別にしている。
あのマスターが今何処で何をしてるのかは知らない。
でもマスターの教えてくれた事は俺の中に残ってる。
そして4軒目。
昨今流行ってしまった為少々大きい街であれば何処でも沖縄料理が食えるだろう。
そんな流行り廃りがある前からこの小さな街で沖縄料理を供していた小さな店があった。
俺がある漫画家さんの影響で沖縄が好きになる以前からこの街にあったと先輩は言う。
俺が通うようになって、2年ほどしたとき、マスターの奥さんが病気で亡くなり、マスターもその後、店を休みがちになった。
奥さんを無くされた事でかなり大変だったのだろう。
本格的に店を再開した後、今度はマスターが病に臥されてしまった。
店をたたまれた後は、街中で元気に歩いている姿を見かけている。
あのソーミンチャンプルーにこーれーぐーすーをこれでもかと掛けて食ったあの店。
てびちの骨の一本一本までを啜り尽くしたあの店ももうここに無い。
あの店もこの店も、その店で友と語り店主と語り、酒を飲み美味い物を食った。
細部は忘れても、そこにあったことは忘れ得ないだろう。
これから先俺がどんな店に呑みに行こうとも。
月が昇ればその姿を思い出す様に。
この街を歩けば俺は思い出す。
この街で酒を飲んでいた自分の事を。
この街で一緒に飲んだ人達の事を。
そのうちこんなあいさつ文が普通になんのかい?
広島に戻ってきてプチ異動とか色々あって漸く落ち着いて来たかなって今日。
職場の部課長クラスの送別会。
立場上欠席出来ないのが困ったもんだが、実際世話にもなったもんだしな。
取り巻きが多いけど直接話も出来たし、7000円の会費なりの食い物も食えてまあこんな物かと。
二次会に誘われるような隙を見せずに会場を後に。
昼に降っていた雨は既に止んでいた。
街の端だった会場からふらりふらりと歩いて家に向かう。
大きな通りの信号に引っ掛かった時に晴れた空を見る。
天頂に近いところに半月ながらくっきりとした月が光ってる。
思わず手を伸ばす。
届かない届かない。
分かってる分かってる。
だからこそそこが好きな事位。
だからこの街でもう無い店の跡を歩いてみたくなった。
一軒目、俺の年より昔からあった酒場。
俺の職場の先達が相当通った店。
俺の年より昔からこの街にあったと言う。
俺がこの店に入ったのは3度ほどだが他に客がいた事は無い。
おそらく最近はこの店を訪れる人は非常に少なかったのだろう。
おかあさんと呼んでいた人はそれでもずっとこの街で、この店に灯りをともして来た。
確かにこの店の明かりは点いていた。
昨年の10月まで。
今は閉まったまま開かないシャッターに手をあて、この店でおかあさんと話した事を思い出す。
2軒目、一つ裏の通りの食事処。
姉妹で営業されてたその店は、ネットで拾った情報で行ってみた一軒だった。
料理主体のそのスタイルは酒主体の店に入り浸っていた俺に新鮮な店だった。
なんの変哲も無いコロッケやおばんざいが美味い。
生ビールさえないその店の料理は、居酒屋通いを続けていた俺の心の、違う弦を掻き鳴らしたのだった。
魚の生ちり、がんも煮などの普通の料理が普通に美味い。
そんな一軒。
昨年末、店の前を通った時、看板の名前が変わってた。
外から見える範囲で店内を覗き、品書きが大幅に変わっている事を知る。
もう俺の食べたかったあの料理はそこに無かった。
3軒目メインストリートのはずれに近い一軒の店。
居酒屋とも料理屋ともいえない一軒の店だった。
はじまりはタウン誌の片隅の小さな記事。
小さな写真のその料理を美味そうだと思った俺は、一週間もしないうちにその店の扉をくぐっていた。
6席ほどのカウンターにテーブルが2つ。
本当に小さな店だった。
メニューらしいものは無く、ただ壁に数枚の短冊が貼ってある。
それもコースの案内でしかなく何を頼んで良いのか分からない。
必然、料理はお任せだった。
もう最初に何を食べたかも覚えてはいないが数品目に出てきたのはカツサンド。
飲み屋で?つまみに?カツサンド?
自分のスタイルを覆されたようなそのつまみを一つ食った時に、俺は自分のいた世界の狭さを知った。
酒を飲むためにカツサンドを作るとこうなるのか!!!
決して安い店ではなかったが、かなり足しげく通う事になった。
そこで教えてもらった料理は、今の俺の原点に近い。
一度行く度に新しい発見があり、一度行く度に新たな感動があった。
上り調子に見えたその店は、数年前に突然店をたたむ。
その店の跡は二転三転し今は全く赴きを別にしている。
あのマスターが今何処で何をしてるのかは知らない。
でもマスターの教えてくれた事は俺の中に残ってる。
そして4軒目。
昨今流行ってしまった為少々大きい街であれば何処でも沖縄料理が食えるだろう。
そんな流行り廃りがある前からこの小さな街で沖縄料理を供していた小さな店があった。
俺がある漫画家さんの影響で沖縄が好きになる以前からこの街にあったと先輩は言う。
俺が通うようになって、2年ほどしたとき、マスターの奥さんが病気で亡くなり、マスターもその後、店を休みがちになった。
奥さんを無くされた事でかなり大変だったのだろう。
本格的に店を再開した後、今度はマスターが病に臥されてしまった。
店をたたまれた後は、街中で元気に歩いている姿を見かけている。
あのソーミンチャンプルーにこーれーぐーすーをこれでもかと掛けて食ったあの店。
てびちの骨の一本一本までを啜り尽くしたあの店ももうここに無い。
あの店もこの店も、その店で友と語り店主と語り、酒を飲み美味い物を食った。
細部は忘れても、そこにあったことは忘れ得ないだろう。
これから先俺がどんな店に呑みに行こうとも。
月が昇ればその姿を思い出す様に。
この街を歩けば俺は思い出す。
この街で酒を飲んでいた自分の事を。
この街で一緒に飲んだ人達の事を。
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